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最高裁判所第三小法廷 昭和32年(オ)682号 判決

上告人 国

訴訟代理人 浜本一夫 河津圭一

被上告人 恩田賢吉

主文

原判決中上告人敗訴の部分を破棄し、本件を広島高等裁判所松江支部に差し戻す。

理由

上告指定代理人西本寿喜名義の上告理由について。

刑訴二〇八条二項は、裁判官は、やむを得ない事由があると認めるときは、検察官の請求により、通算一〇日を超えない範囲内で被疑者の勾留期間を延長することができる旨規定する。右の「やむを得ない事由があると認めるとき」とは、事件の複雑困難(被疑者もしくは被疑事実多数のほか、計算複雑、被疑者関係人らの供述又はその他の証拠のくいちがいが少からず、あるいは取調を必要と見込まれる関係人、証拠物等多数の場合等)、あるいは証拠蒐集の遅延若しくは困難(重要と思料される参考人の病気、旅行、所在不明もしくは鑑定等に多くの日時を要すること)等により勾留期間を延長して更に取調をするのでなければ起訴もしくは不起訴の決定をすることが困難な場合をいうものと解するのが相当である(なお、この「やむを得ない事由」の存否の判断には当該事件と牽連ある他の事件との関係も相当な限度で考慮にいれることを妨げるものではない)。そして勾留期間延長の請求をする検察官又は請求を受けた裁判官が勾留期間の延長を相当とするには、すでに得られた諸資料のほかに更に検察官において証拠の蒐集取調をするのでなければみだりに起訴もしくは不起訴の決定をなしえないとの判断に立脚しなければならないところ、この判断は一の法律上の価値判断に帰する。かかる価値判断の過誤については、その過誤であることが明白である場合、換言すれば、通常の検察官又は裁判官であれば当時の状況下において当該被疑事件又は勾留期間延長請求事件の取調ないし決定判断に当つては何人も当時の勾留延長請求の資料に基づいては勾留延長の請求又はこれを認容する裁判をしなかつたであろうと考えられる場合に限り国家賠償法一条一項にいう過失を認めることができるものと解するのを相当とする。

本件についてこれをみるに、この点に関する原判決の判示は、要するに次のとおりである。「被上告人に対する所論勾留延長につき、(一)本件勾留の基礎となつた被疑事実は「控訴人(被上告人)が昭和二八年四月上旬頃同月二五日施行の参議院議員通常選挙にあたり鳥取県より立候補した三好英之に当選させる目的で判示福政義孝方で同人に対し右候補者のために投票取纏めの選挙運動を依頼し投票買収並びにその報酬として現金数万円を供与した」との単純な一個の事実であり、重要参考人と認められる者は右福政義孝及び控訴人に対し右金員を交付したと推定される中田玉平の二名に過ぎず、しかも右両名は控訴人と同じ頃鳥取市内において勾留せられていたことが明白である。(二)当時鳥取地方検察庁には一〇〇名前後の公職選挙法違反事件が送致され、本件被疑事件の及川主任検事において当時かなり多忙であつたことを推認するに難くないけれども、この事実の故に前記の如き単純な事案につき更に捜査をする必要があつたものとも認められず、実際においても五月二五日勾留期間の延長より六月二日釈放に至るまでの間に検察官山崎貞一の控訴人に対する取調があつたほか他に捜査が行われた形跡を認めることはできない。(三)主として控訴人の取調に当つた倉本巡査及び及川検事において控訴人の自白内容の真実性につき疑念を懐いていたことを認め得るに拘らず、同巡査及び同検察官において控訴人の弁解及び不在証明となるべき資料の取調の申出を十分に聴取して勾留期間内にその十分な取調をした形跡を窺うことはできない。以上は挙示の証拠により認定しうるが、右事実によれば結局その必要がないのに勾留期間の延長を請求した点及び右請求を容れて右期間を延長した点において判示検察官及び判示鳥取地方裁判所裁判官に過失があつたものである。」というのである。

しかしながら、(一)被上告人は、昭和二八年五月一三日巡査部長戸田実及び巡査足羽一正の取調に対し被疑事実を否認したが、同月一五日に至り巡査倉本重雄に対し、福政に交付した買収費は衆議院議員徳安実蔵のためのものであるという点を除き被疑事実一切につき詳細な自白をし、翌一六日検事及川直年に対し右同様の自白をしたことは、原審の鑑定した事実であるが、原審に現われた甲三ないし六号証、同八、一〇号証、乙八、一〇、一一、一三号証(いずれも本件勾留延長請求の資料)によれば、被上告人は、捜査官に対し或は自白し、或は衆議院議員候補者徳安実蔵のためその選挙運動の参謀である中田玉平から前記二万円を受けとつてこれを福政義孝に交付したと述べ、或は被疑事実を全面的に否認したりして、その供述は変転を重ねにわかに真相を把握し難いことが窺えなくない。(二)また、鳥取地区警察署司法監察員が同月一三日午後五時頃同署捜査室において被上告人の容貌を福政義孝に見せ(いわゆる面通し、面割り)たところ、同人は十中八、九被上告人が前記被疑事件の恩田某に相違ない旨供述したこと、及川検事は鳥取地方裁判所裁判官に対し被上告人の勾留延長請求書を提出するたあたり原判示の一件捜査記録を資料として添付したことは、いずれも原審の確定した事実である。(三)そして、原審に現われた乙五号証(恩田善信の供述調書)及び証人山崎孝治の証言によれば、本件被疑行為当時被上告人の居住地である鳥取県気高郡谷村大字岡木には、被上告人と同姓の恩田善信、恩田一、恩田公輔、恩田甚平の四名が居住し、そのうち本件の真犯人であることがその後判明した恩田一は被上告人の勾留中所在不明であつたことが窺えないことはない。

以上の事実関係からすれば、被上告人の供述は変転してその真相を把握し難いため、取調に当つた判示検察官としては、重要参考人の一人と目される前記恩田一の所在を確かめた上、被上告人の勾留中にこれを取調べることが起訴、不起訴の決定上必要であると考ええる余地があつたということができ、右検察官においてかく考えたとすればたとえ勾留期間延長後において取調が右判示の程度にしか行われなかつたとしても、勾留期間延長請求そのものは失当ということはできない。右裁判官についても、同様の理由によつて、本件勾留延長請求を認容したことに過失があつたとはいい難い。

そうすると、原審が右の点を看過して、単に事案が単純な一個の事実であることその他初に示した(一)ないし(三)の点のみから新たな証拠資料は考えられないとし、本件勾留期間延長請求について捜査に名を藉る勾留期間延長の必要があつたとは認められないとの理由で本件勾留請求延長請求について判示検察官の請求及び判示裁判官の右請求認容の裁判について判示検察官及び裁判官の各過失をたやすく認めたのは、審理不尽ないし理由不備のそしりがあり論旨は理由あり原判決中上告人敗訴の部分は破棄を免れない。それゆえ、さらに審理を尽すため、本件を原裁判所に差し戻すべきものである。

よつて民訴四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。

(最高裁判所第三小法廷 河村又介 垂水克己 石坂修一 五鬼上堅磐 横田正俊)

上告指定代理人西本寿喜名義の上告理由

原判決には刑事訴訟法第二〇八条第二項の解釈適用を誤り、延いては国家賠償法第一条第一項の解釈適用を誤つた違法がある。

原判決はその理由三、勾留の延長についての過失の有無の項において「刑事訴訟法二〇八条によれば検察官は止むを得ない事由があるときは裁判官に対して勾留期間の延長を請求することができ裁判官は止むを得ない事情があると認めるときはこの期間を延長することができることになつている。右に止むを得ない事由があるとは事案の複雑、関係人の多数、重要参考人に対する取調の支障の如き事由が存在して被疑事実について起訴、不起訴を決定するためなおその捜査を継続する必要上その期間を延長することが客観的にみて真にやむを得ないと認められる場合でなければならないと解せられるから、本件について右の如きやむを得ない事由があつたかについて審按すると、勾留の基礎となつた被疑事実は「控訴人が四月上旬頃同月二五日施行の参議院議員通常選挙にあたり鳥取県より立候補した三好英之に当選をさせる目的で福政義孝方で同人に対し右候補者のために投票取纏めの選挙運動を依頼し投票買収並びにその報酬として現金数万円を供与した」との単純な一個の事実であり、重要参考人と認められる者は右福政義孝及び控訴人に対し右金員を交付した者と推定される中田玉平の二名に過ぎず、しかも原審証人福政義孝、同花房多喜雄の各証言によれば右両名は控訴人と同じ頃鳥取市内において勾留せられていたことが明白である。原審証人山崎博正の証言によればなるほど当時鳥取地方検察庁には百名前後の公職選挙法違反事件が送致されていたものと認められ(もつとも右の約百名中幾名が身柄の拘束を受けでいたかは不明である)るから、右被疑事件の主任検事において当時かなり多忙であつたことを推認するに難くないけれども、この事実の故に前記の如き単純な事案につき更に捜査を継続する必要があつたものとも認められず実際においても五月二五日勾留期間の延長より六月二日釈放に至るまでの間において検察官山崎貞一控訴人に対する取調があつた外他に捜査が行われた形跡を認めることはできない。

しかしのみならず控訴人に対する司法警察職員又は主任検察官の取調に強要があつたものと認められないことは前記のとおりであるが、成立に争のない甲第三、六、十号証、原審証人倉本重雄、同花房多喜雄、同山崎博正、当審証人山崎季治の各証言及び原審における控訴本人尋問の結果を綜合すれば右自白は控訴人の全く自由なる意思に基くものではなく、控訴人は捜査官に対し自白を翻して、容疑事実になんらの関係がなくそのことを証明すべき資料の取調を求めようとした事実があり、主として控訴人の取調に当つた倉本巡査び及川検事自身においても控訴人の自白内容の真実性につき疑念を懐いていたことを認め得るにも拘らず、同巡査及び同検察官において控訴人の弁解及び不在証明となるべき資料の取調の申出を十分に聴取して勾留期間内にその十分なる取調をなした形跡を窺うことはできず、なお、控訴人と前記中田玉平を面接或は面談させて事実の解明に努力した形跡を認めることもできない。もし右の如き取調を十分に遂げたとすれば控訴人が無辜であることが立証し得られ控訴人に対する嫌疑が速に霄れて十日の勾留期間満了前年控訴人の釈放をみるに至らなかつたとはいえないのである。

担当検察官において控訴人の自白に任意性を疑うべき事情が全くなく信憑力あるものと解したのであれば、控訴人に対する取調は前後数回行われ、その調書も作成せられ、且つ福政義孝に対する取調も尽されていたのであるから、検察官はむしろ十日の勾留期間内に公判を請求するか、控訴人を釈放した上略式命令を請求すべきであつて、新たな証拠資料の存在の考え得られない前記の如き被疑事件について、捜査に名を藉りて勾留期間を延長することは許されないところといわなければならない。

逮捕、勾留は固より、勾留期間の延長も亦人身の自由に対する重大な侵害である。それの許されるのは法律の規定する要件を充足する場合のみに限るのであつて、これを欠くときは許されないこと勿論である。勾留期間延長の要件は前記のとおりであり、事案によつては延長の必要があるか否かの判断が困難である場合が少くないであろう。しかしながら前記被疑事件は以上説明のとおり右の判断を困難ならしめる事情の存在する事案とは到底考えられない。

結局その必要なきに拘らず勾留期間の延長を請求した点、及び右請求を容れて右期間を延長した点において検察官及び裁判官に過失があつたものといわなければならない。」と説示されている。

しかしながら

第一、勾留延長の請求をした係検察官には過失はない。その理由は次の通りである。

一、被上告人の被疑事実の捜査は原判決説示の如くしかく簡単に終了すべき性質のものではない。

抑も公職選挙法違反被疑事件は、上下左右にそれぞれ関連性を有し、しかも極めて短期間内に多数の関係人を取調べなくてはならない関係にあり、検察官において一事件の捜査のみに没頭しておられないことは敢えて多言を要しないところである。これを本件について見るも、被上告人の被疑事実の捜査に関連し、中田玉平、福政義孝等の被疑事実(それは単に被上告人との間における金銭の授受関係だけではなく、更にその金銭の出所、支出先、その他の事実につき捜査の要がある)の捜査も並行して行われたのみならず、当時鳥取地方検察庁には、公職選挙法違反被疑事件で、数百名に上る関係者の取調べが(この点に関し原審は百名前後と認定しているがこれは明に証拠に基かない判断であり民事訴訟法第三九五条第一項第六号に該当する)なされていたことは、後記二において掲げる諸証拠により明なところである。

二、被上告人に対する起訴、不起訴の決定は、原判決説示の如く、十日間の勾留期間内においてたやすくこれをなし得べき性質のものではない。即ち、十日の勾留期間終了時迄になされた捜査状況は次の通りであつた。

(一) 被疑者たる被上告人に対しては、検挙以来数回に亘り取調べがなされたが、被上告人は被疑事実につき或は認め、或はこれを否認する等、供述があいまいにして一貫性がなく、ために係検察官においてその真否につき容易に確信を得るに至らなかつた。(第一審証人山崎博正の証言、甲第三、第四、乙第八、第一〇、第一一、第一二、第一三号)

(二) 被上告人より取票取まとめの報酬として現金一万円を受領したと称する福政義孝は、その旨の供述をなし、且つ二回に亘るいわゆる面割において、自分に金を渡したのは被上告人であると供述した。(前掲証言、乙第四号証)

(三) 検察官において、被上告人の供述の真否を確めるため、被上告人より提出せしめた手記において被上告人は被疑事実に符合する事実を記載している。(なおこの点に関しては原審は全く判断を遺脱しておりこれは明に民事訴訟法第三九五条第一項第六号に該当する)(乙第一五号証)

(四) 被上告人が金を貰つたという中田玉平は、その事実を認めていない。(甲第一三号証の一乃至三)

(五) その頃被上告人の弁護人より、真犯人は被上告人でなく他に存在するから、その捜査をされたいとの申出を検察庁に対しなされている。(第一審証人花房多喜雄の証言)

以上の事実を綜合すれば該段階においては未だ起訴、不起訴を決定することは不可能であり、従つて十日の勾留期間の満了により被上告人を釈放することも又不可能である。されば係検事が、なお引続き勾留を延長して捜査を続行する必要ありと認め、裁判官に対し勾留延長の請求をなしたことは、まことに検察官としてとるべき当然の措置であつたというべく、その間及川検事において、原判決説示の如く徒らに捜査に名を藉りて勾留延長の請求をしたことの認むべき何等の証拠がないばかりでなく、その必要があつたであろうことの理由さえも、とうていこれを見出し得ないところである。

三、原判決は、勾留延長の必要性のなかつたことの証左として、五月二十五日勾留延長後、六月二日に釈放する迄の間、一回の取調べがあつたのみであり、他に捜査が行われた形跡はないと説示されるが、これは被上告人の被疑事件の記録のみを対象としてなされた独断であり、前記一において述べた検察庁における事件処理の実情を無視したものであつて、誤れるも甚しいものといわなければならない。なるほど被上告人に対する記録上は、五月二十九日に山崎副検事が被上告人を取調べた以外、捜査をした形跡はない。しかしながらその間検察庁においては、警察官に指示して、弁護人より真犯人なりと申告された恩田一に対する捜査を進行し、中田玉平に対する捜査もなお続行したのであつて(甲第一三号証の四参照)、その結果被上告人に対する被疑事実が逐次薄らいで来たので、未だ恩田一を逮捕するに至らない(逃走して所在不明のため)前に、被上告人に対する処分を留保したまま、勾留期間満了前に一先づ被上告人を釈放したものである。該事実によるも、係検察官が、不必要に被上告人を勾留したものでなく、捜査の必要上、止むを得ず勾留の延長を請求したものであることを認定するに十分である。

第二、勾留延長をした係裁判官に過失はない。

凡そ勾留延長の場合において、なお引続き捜査続行の要ありや否やは、係検察官以外の者においてたやすくこれを判断することは困難であり、裁判官といえどもその判定に当つては、特段の事由のない限り検察官の意見を尊重すべきである。

而して勾留延長の必要性の有無の判断についても、添付された資料に基きこれをすれば足りるものと解すべきところ、これを本件につき見るに被上告人に対する勾留延長の請求は、前記の如く捜査の必要上止むを得ない事由に基きなされたものであつて、その請求書には、前記第一の二に掲げた如く、被上告人に対する捜査記録全部が添付せられていたものであるから、これに前記第一の一に挙げた公職選挙法違反被疑事件捜査の特殊性を併せ考えれば、これを審査した係裁判官が、検察官の請求を理由ありと認めたことは、まことに当然であり、勾留延長の必要のないことをうかがうに足るべき何等の事由も存しないのである。

以上述べた如く、被上告人に対する勾留延長の請求をした係検察官にも、はた又、これを認容して勾留を延長した係裁判官においても、何等刑事訴訟法第二〇八条二項の規定に違反した事実はないのである。然るに原審は、右引用の如く判示して、係官に過失ありと認定し、国家賠償法第一条を適用して、上告人たる国に対し、損害賠償の責任ありと認定したことは、明に刑事訴訟法第二〇八条二項の解釈適用を誤り、延いては国家賠償法第一条第一項の適用を誤つた違法があり、原判決は当然破棄さるべきものであると考える。

以上

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